シンガポール発のパン屋さん、ブレッドトークを知っていますか?

シンガポールのブレッドトーク

画像は、Breadtalkのホームページよりお借りしました。

日本にお住いの皆さんは、シンガポールに対してどんなイメージをお持ちですか?

インフィニティプールが有名な、
マリーナベイサンズに代表されるようなお洒落なイメージですか?
マリーナベイサンズのプール

あるいは、
世界中の富裕層が移住して来る国とか、
世界からのお金が集まってきている国という
イメージが思い浮かぶかもしれません。

でも、シンガポールは他の国から人やお金を呼び込んでいるばかりではありません。

この小国からアジアや世界に大きく羽ばたいていく
ベンチャー企業もあるのです。

シンガポールの比較的大きめのショッピングモールで、
必ず目にするパン屋さん、
ブレッドトーク。

本日は、このパン屋さんのファウンダーと、
ブレッドトークの海外展開について取り上げてみたいと思います。

目次

ブレッドトークとは?

シンガポール発祥のパン屋さんで、オープンしたのは2000年。
2016年末の時点で、なんと15か国に展開中です。

それまでのシンガポールには、
ほとんど馴染みのなかったインストアベーカリーの形式を取り入れ、
シンガポールの伝統的な(?)食べ物である、
ポークフロスをパンの上に振りかけたパンを目玉商品として
急激に店舗展開を進めたお店です。

それまでの昔ながらのシンガポールのパン屋さんとは異なる、
明るくて、清潔な店内。

そして、
パンを製造している姿が、ガラス越しに見えたり、
トレーとトングを使って、自分の好きなパンを選んでカウンターにもっていくなど、
シンガポールにしてはお洒落(?)な、お店のスタイルが
中間層の需要にぴったりとマッチして、売り上げを急速に伸ばしました。

その人気にあやかろうと、
シンガポール中に、ブレッドトークもどきのパン屋さんが進出しました。

ブレッドトークのスタイルは、決してオリジナルのものでは無く、
たぶん日本のインストアベーカリ形式を、
そのままシンガポールに取り入れたものと思われます。

商品としてシンガポールのオリジナルを打ち出した、
ポークフロスパン(正式名はFlosss)がシンガポール人の心をつかんだのでしょう。

戦略としては、素晴らしいですね。

それまでも、日本のヤマザキパンや日清製粉が出店したパン屋さんなど、
日本式のパン屋さんは既に存在していました。

ただ、工場から送られてきたパンを並べていた方式だったり、
日本のメニューが、ほぼそのままだったりで、
一般のシンガポール人には
少し、敷居が高かったのかもしれません。

このあたりは、ブレッドトークのファウンダー、
目の付け所が違いますね。

ブレッドトークのポークフロスパンの製造過程のビデオです。
このパンにまぶしているのが、ポークフロスです。

ブレッドトークの成功を足がかりに、

その後、
ディンタイフォン(2003年):台湾発祥の小籠包が人気のチャイニーズレストラン
フードリパブリック:ショッピングセンター内にある、フードコート
トーストボックス(2005年):シンガポールのローカルフードやスナックを提供する、
シンガポールの60年代をイメージした、コーヒーショップ
と、それまでのシンガポールにはなかった業態の飲食店を次々とオープンさせていきます。

さらに、

Breadsociety:ブレッドトークの高級版
Thye Moh Chan:シンガポールの伝統的なお菓子やさん
Theicingroom:お菓子に自分でアイシングを施すお店。

など、最近も新業態の店舗展開を積極的に進めているようです。

カールスジュニアという、アメリカ資本のハンバーガーやさんも同資本でしたが、
現在は中国の方にマネージメントが移ったようです。

ブレッドトークの海外進出

シンガポール国内では、知らない人がいない。
そしてシンガポール人ならば、誰でも(宗教上豚がダメな人以外は)
絶対に利用したことがあると思われるブレッドトークですが、
シンガポールは、東京23区内とほぼ同じ大きさの小さな島国です。
商圏は京都とほぼ同等と言われています。

いくら他業種展開をしても、やはり限りはあります。

ブレッドトークの更なるターゲットは、海外です。

アジアの需要にうまくマッチした海外展開

2016年末までに、ブレッドトークが進出しているのは、
下記の国々です。

マレーシア
タイ
フィリピン
ベトナム
香港
中国
インドネシア
インド
スリランカ
カンボジア

オマーン
サウジアラビア
バーレン
クウェート
ヨルダン

アジアの新興国と中東に広がっています。

2000年に設立した会社がこれほどまでに
海外展開を繰り広げているとは知りませんでした。

海外では、現地の大手企業と組んで店舗展開をしているところなどは、
日本のユニクロと同じですね。

現在も、盛んに海外のフランチャイジーを募集しています。

海外展開している国を見てみると、ブレッドトーク進出以前は、
インストアの清潔で且つ、中産階級の人々が
気軽に買う事が出来るパン屋さんがあまりなかった地域であると想像できます。

大型のスーパが建設され、
その中にブレッドトークも同時進出みたいなパターンでしょうか。

日本にブレッドトークが進出しても、何もインパクトはないけれど、
中東にこんなパン屋さんが出来たら
やはり注目の的になるのではないでしょうか?

でも、このブレッドトーク。

ポークフロスブレッドはオリジナルかもしれませんが、
お店の形態や、パン自体は日本の影響が限りなく濃いです。
というか、ほぼパクリ状態??

それでも、オリジナリティー(といえるのか?)を全面にだして、
各国で躍進中です。

技術や資金で優っている、日本のベーカリーが海外に進出しても、
彼らのような爆発的ヒットを飛ばせないのは何故なのでしょうか?

日本の企業も頑張ってもらいたいものです。

ブレッドトークの創設者ってどんな人?

ブレッドトーク自体の説明が長すぎて、
肝心な創設者のお話しまで、なかなかたどり着けませんでした。

ブレッドトークの創設者の、George Quek氏は1982年に台湾に美術の勉強に渡ります。
但し、台湾で始めたのは勉強ではなく、キャンディーを売る事。
因みに台湾に渡った当時の彼の所持金は、
S$2,000だったそうです。(日本円で16万円)

このビジネスは成功して、
10年で21の支店を東南アジアに広める事になったのです。
しかし、彼は台湾にはとどまらず、1992年にシンガポールに戻ってきます。

1993年にフードコートビジネスを始め、2000年にブレッドトークを開業、
2003年には、シンガポール証券市場に上場を果たしました。

まさにベンチャー企業の成功例を絵にかいたような、ストーリですね。

シンガポールから、発進して世界に羽ばたこう

皆さんは、このブレッドトークの成功物語から何を感じましたか?

現在ブレッドトークがシンガポールで展開している事業の中には、
日本の地方の老舗のラーメンショップとの事業もあります。

シンガポールは事業を始めるのに、本当にハードルの低い国です。

George Quek氏がそのまま台湾に留まらず、
シンガポールに戻って更にビジネスを発展させたのは、
やはり、シンガポールという国が、
ビジネスをし易い国だったからかもしれません。

アジア・オセアニアのハブとして、
更には中東へのアプローチにも便利な地の利です。

日本の企業も、ブレッドトークのように、
アジアや中東へどんどんビジネスを広げていってもらいたいです。


当社ではシンガポールヘ進出される企業の皆様、

また移住をお考えの皆様のサポートをさせて頂いております。

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そして、会社設立等については、

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シンガポールのブレッドトーク

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